その昔、温泉の権利を持っていた大屋12軒には干支が与えられていました。
現在はその大屋の屋敷跡に各屋敷の十二支のプレートが埋め込まれています。
【十二支の絵】
江戸時代の伊香保には石段街の左右に大屋と呼ばれる14軒の温泉宿がありました。延享3年(1746年)徳川九代家重の時代に12軒の大屋に十二支を名付け、明治維新まで年番で名主や伊香保口留番所(関所)の役人を勤めていました。十二支の干支はその屋敷跡を示すものです。(石段街にある案内版より)












※十二支の位地は石段街を下からゆっくりと、下を見ながら上って行けば見つかりますが、伊香保のまちの駅の1階で売っている【伊香保豆手帖】に付属している地図には干支の位地が印してあります。
【伊香保豆手帖】は200円とお値段も手頃で情報も豊富なので是非入手してみて下さい。

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